先物取引 葛の葉(くずのは)は、伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また、葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』、および翻案による同題の歌舞伎も通称「葛の葉」と呼ばれる。 目次 [非表示] 1 伝説の概要 2 葛の葉を題材とする作品 3 参考文献 4 関連エピソード 5 関連項目 6 外部リンク [編集] 伝説の概要 伝説の内容は伝承によって多少異なるが、おおむね以下のとおりである。 投資信託 -------------------------------------------------------------------------------- 注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。 -------------------------------------------------------------------------------- 村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野キツネの生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける。(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った。)童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。 恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉 この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。 保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信田の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り、別れる。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。 [編集] 葛の葉を題材とする作品 説経節「信太妻」(「信田妻」とも) 地歌「狐会(こんかい)」1690年(元禄元年)頃 ― 男女が入れ替わっているために立役のために作られた芝居唄と考えられている 紀海音 浄瑠璃『信田森女占』 1703年(元禄16年) 初世竹田出雲 浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』 1734年(享保19年) 歌舞伎『蘆屋道満大内鑑』 1735年(享保20年) ― 同題の浄瑠璃を翻案 法橋玉山 『阿也可之譚(あやかしものがたり)』 1806年(文化3年) 曲亭馬琴 『敵討裏見葛葉(かたきうち うらみくずのは)』 1807年(文化4年) 瞽女唄「葛の葉子別れ」 映画「恋や恋なすな恋」 1962年 ― 監督:内田吐夢、主演:大川橋蔵、東映 小松左京 「女狐」 1967年 横溝正史 「車井戸はなぜ軋る」 1973年 手塚治虫 「悪右衛門」 1973年 辻井喬 「狐の嫁入り」 1976年 藤原眞莉 『姫神さまに願いを』 1998年−2006年 小松左京、高橋桐矢 『安倍晴明 天人相関の巻』 2002年 西野かつみ 『かのこん』 2005年− 安倍晴明を主人公とする作品には、葛の葉に触れているものもある。安倍晴明が登場する作品を参照。 [編集] 参考文献 折口信夫 「信田妻の話」 『折口信夫全集』第二巻、中央公論社、1965年 ISBN 4-1240-0712-4 / ISBN 4-1220-0267-2〈中公文庫〉 高木元 『江戸読本の研究 −十九世紀小説様式攷−』 ぺりかん社、1995年 ISBN 4-8315-0677-X ともえ 「越後の瞽女さん」 ともえのお部屋、2002年 「説経とその枝葉」(十四) 『邦楽ニュース』VOL.190、日本の伝統音楽を守る会、2001年 FX [編集] 関連エピソード きつねうどん(そば)のことを葛の葉の生誕の地とされる信太(信田)に由来し、しのだうどん(そば)と言う。 関西方面(特に近畿地方)の年配者には稲荷寿司を「しのだ」と呼ぶ人もいる。 明治時代の曲芸に「信田妻」と言う、両手での同時筆記、筆を口に加えての筆記などを売り物にした演目がある。 南海本線高石駅と阪和線北信太駅は開業時、それぞれ「葛葉」と「葛葉稲荷」という駅名であった。 てなもんや三度笠の主人公・あんかけの時次郎は「泉州・信太の生まれ」という設定。 [編集] 関連項目 蘆屋道満大内鑑 キツネ 信太森葛葉稲荷神社 きつね (麺類) 安倍晴明 桂蔵坊(けいぞうぼう)は、鳥取県東部に伝わる伝説。経蔵坊狐(きょうぞうぼうぎつね)[1]、飛脚狐(ひきゃくぎつね)[2]とも呼ばれる。 [編集] 物語 昔、鳥取にお城があった頃、池田の殿様に仕える「桂蔵坊」と名乗る狐がいた。桂蔵坊は若侍に化けるのがうまく、江戸まで3日で行き帰りできるすぐれた術を持っているため、殿様に大変かわいがられていた。 ある時、桂蔵坊は殿様から言いつかった仕事で江戸に出向いた。お城からほど近い百谷の村にさしかかったところ、香ばしいよい匂いがしてくる。ふと見ると道の脇で焼きねずみを罠に仕掛けている百姓がいたので、侍に化けて[2]わけを聞いてみたところ、畑を荒らす狐を退治するために罠を仕掛けているとのことだった。 江戸で用事を済ませた桂蔵坊がその村を通りかかると、あの焼きねずみがよい匂いを放っている。罠が仕掛けられていると知りつつも、匂いに釣られ我慢ができなくなった桂蔵坊は焼きねずみに飛びつき、挟まれて死んでしまった。池田の殿様は桂蔵坊をたいそう哀れがり、お城に中坂神社を造り桂蔵坊を祀ってやったということである。 現在では鳥取県鳥取市の久松山の中坂神社に桂蔵坊が祀られている[3]。 [編集] 備考 江戸時代後期に著された『鳥府志』(岡島正義著)に、桂蔵坊の伝説は池田光仲の代の出来事であるとの言い伝えが紹介されている。 中坂神社は鳥取城登山道の中腹にあり、城の守り神として知られる。 桂蔵坊の女房は「立見峠のおとんじょろう」であると言われている。桂蔵坊、おとんじょろう、さらに鳥取に伝わる化け狐3匹を加え、計5匹を因幡五狐(いなばごぎつね)という[1]。 ネコ(猫、学名:Felis silvestris catus)は、世界中できわめて広く飼われているネコ目(食肉目)の小型動物である。元来、ネズミを捕獲させる目的で人に飼われ始めた(狭義の)ヤマネコ(F. silvestris)の家畜化されたものといわれ、分類学上はヤマネコの1亜種とされる。本項ではこれについて解説する。 日経225 また、広義の「ネコ」はネコ類(ネコ科動物)の一部、またはその全ての獣を指す総称である。しばしば、家畜種の「イエネコ」に加えて広義のヤマネコ類を含み、特に学術用語としては、英語の「Cat」と同様トラ・ライオンなどの大型種を含む全てのネコ科動物を指すことがある。 目次 [非表示] 1 起源 2 身体的特徴 2.1 概要 2.2 体の柔軟性 2.3 瞬発力 2.4 運動能力 2.5 被毛 2.6 目 2.6.1 目の色 2.7 鼻 2.7.1 鼻の使い方 2.7.2 フレーメン反応 2.8 耳 2.9 舌 2.10 ひげ 2.11 襟首 2.12 尾 2.12.1 尾による感情の表現 2.13 肛門嚢 2.14 鳴き声 2.15 喉鳴らし 3 繁殖 3.1 発情 3.1.1 メスの発情 3.1.2 オスの発情 3.2 交尾 3.3 妊娠・出産 4 習性 4.1 睡眠 4.2 爪とぎ 4.3 体を舐める 4.4 顔を物にこすりつける 4.5 獲物を持ち帰る 4.6 草を食べる 4.7 見つめる 4.8 相手に向かって両目を閉じる 4.9 愛情があるのに噛む 4.10 母親の乳房に見立てて吸い付く 4.11 トイレの所作 4.12 臭い物に砂をかける仕草をする 4.13 喧嘩 5 ネコと自然生態系 6 ネコと人間の歴史 6.1 古代 6.2 日本 6.3 家畜・食材としてのネコ 6.4 ネコ嫌いを生む背景 7 ネコと文化 7.1 伝説・伝承の中のネコ 7.1.1 ネコ座・ネコ年 7.1.2 ネコの神さま・妖怪 7.2 いいつたえ・俗信・迷信・トリビア 7.2.1 オスの三毛猫はほとんどいない 7.2.2 ネコの死に場所 7.2.3 ネコは家に付く 7.2.4 猫水 7.2.5 猫は肉より魚が好物 8 人獣共通感染症 9 ネコに与えてはいけない食べ物 10 ネコの品種一覧 11 猫の別称 12 脚注 13 関連項目 [編集] 起源 外為家畜化が始まったばかりの特徴を残しているリビアヤマネコ (南アフリカ共和国、ヨハネスブルク動物園)外部形態からリビアヤマネコ(Felis silvestris lybica)が原種とされており、「ミトコンドリアDNA」の遺伝子解析からも、それを裏付ける結果が発表された[1]。同じく愛玩用家畜としても一般的なイヌ(Canis lupus familiaris)と比べると、人間に飼われ始めた時期は遅い。メソポタミアにおいて、穀物倉庫などに現れるネズミやノウサギを狩るために人間の生活圏に頻繁に現れるようになり、次第に倉庫に住み着くようになったのがその始まりであるといわれる。肉食性で穀物は食さないので益獣として認められ追い払われることはなかったのである。家畜化されて現在のようなイエネコとなった起源はよくわかっていないが、紀元前3000年ごろの古代エジプトで固定化されたといわれる。